石川啄木

はてしなき議論の後 詩稿ノート


 

はてしなき議論の後  『創作』1911年7月号 第二巻第七号

我等の且つ読み、且つ議論を闘はすこと、

しかして我等の眼の輝けること、

五十年前の露西亜の青年に劣らず。

我等は何を為すべきかを議論す。

されど、唯一人、握りしめたる拳に卓をたゝきて、

「V NARODO!」と叫び出ずるものなし。

 

我等は我等の求むるものゝ何なるかを知る、

また、民衆の求むるものゝ何なるかを知る、

しかして、我等の何を為すべきかを知る。

実に五十年前の露西亜の青年よりも多く知れり。

されど、唯一人、握りしめたる拳に卓をたゝきて、

「V NARODO!」と叫び出ずるものなし。

 

此処に集まれる者は皆青年なり。

常に世に新らしきものを作り出す青年なり。

青年は勇気なり、さればまた我等の議論は激し。

我等は老人の早く死に、しかして遂に我等の勝つべきを知る。

されど、唯一人、握りしめたる拳に卓をたゝきて、

「V NARODO!」と叫び出ずるものなし。

 

ああ、蝋燭はすでに三度も取りかへられ、

飲料の茶碗には小さき羽虫浮び、

若き婦人の熱心に変りはなけれど、

その眼には、はてしなき議論の後の疲れあり。

されど、唯一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、

「V NARODO!」と叫び出ずるものなし。

(註。V'narodo──To the People, be the People.)

 

我は知る、テロリストの

かなしき心を──

言葉とおこなひとを分ちがたき

たゞひとつの心を、

奪はれたる言葉の代りに

おこなひをもて語らんとする心を、

われとわが身体を

敵に擲げつくる心を──

しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有(も)つかなしみなり。

はてしなき議論の後の

冷めたるココアのひと匙を啜りて、

そのうすにがき舌触りに、

われは知る、テロリストの

かなしき、かなしき心を。   

 

我はこの国の女を好まず。

読みさしの舶来の本の

手ざはり粗き紙の上に、

あやまちて零したる葡萄酒の

なかなかに浸みてゆかぬかなしみ。

我はこの国の女を好まず。

 

我はかの夜の議論を忘るゝこと能ず──

新しき社会に於ける「権力」の処置に就きて、

はしなくも、同志の一人なる若き経済学者Nと

我との間に惹き起されたる激論を──

かの六時間に亘れる激論を。

「君の言ふ所は徹頭徹尾煽動家の言なり。」

彼は遂にかく言ひ放ちき。

その声は咆ゆるが如くなりき。

若しその間に卓子の無かりせば、

彼の手は恐らくわが頭を撃ちたるならむ。

我はその浅黒き、大いなる顔の

紅き怒りに膨れるを見たり。

五月の夜はすでに一時なりき、

或る一人の立ちて窓を明けたるとき、

Nと我との間なる蝋燭の火は幾度か揺れたり。

病みあがりの、しかして快く熱したるわが頬に、

雨をふくめる夜風の爽かなりしかな。

さて、我はまたかの夜の

我等の会合に常にただ一人の婦人なる、

Kのしなやかなる手の指環を忘るゝこと能はず。

ほつれ毛をかき上ぐるとき、

また、蝋燭の心を截るとき、

そは幾度かわが眼の前に光りたり。

しかして、そは実にNの贈れる約婚のしるしなりき。

されど、我等の議論に於いては、

かの女は初めより我が味方なりき。

 

我は常にかれを尊敬せりき、

しかして今も猶尊敬す──

かの郊外の墓地の栗の木の下に、

彼を葬りて、すでにふた月を経たれども。

実に、われらの会合の席に

彼を見えずなりて、すでに久し。

彼は議論家にてはなかりしかど、

なくてかなはぬ一人なりしが。

或る時、彼の語りけるは──

「我に思想あれども、言葉なし、

故に議論すること能はず。

されど、同志よ、我には何時にても起つことを得る準備あり。」

「かれの眼は常に論者の怯懦を叱責す。」

同志の一人はかくかれを評しき。

然り、われもまた幾度しかく感じたり。

しかして、今やその眼より再び正義の叱責をうくることなし。

かれは労働者──一個の機械職工なりき。

彼の腕は鉄の如く、その額はいと広かりき。

しかして彼はよく読書したり。

彼は実に常に真摯にして思慮ある労働者なりき。

彼は二十八歳に至るまでその童貞を保ち、

また酒も煙草も用ゐざりき。

彼は烈しき熱病に冒されつゝ、

猶その死ぬ日までの常の心を失はざりき。

「今日は五月一日なり、我等の日なり。」

これ彼の我に遺したる最後の言葉なりき。

その日の朝、われはかれの病を見舞ひ、

その日の夕、かれは遂に長き眠りに入れり。

彼の遺骸は、一個の唯物論者として

かの栗の木の下に葬られたり。

我等同志の撰びたる墓碑銘は左の如し──

「我には何時にても起つことを得る準備あり。」

 

わが友は、古びたる鞄をあけて、

ほの暗き蝋燭の火影の散らばへる床に、

いろいろの本を取り出したり。

そは皆この国にて禁じられたるものなりき。

やがて、わが友は一葉の写真を探しあてゝ、

「これなり」とわが手に置くや、

静かにまた窓に凭(よ)りて口笛を吹き出したり。

そは美しくとにもあらぬ若き女の写真なりき。


詩稿ノート


<はてしなき議論の後>

暗き、暗き広野にも似たる、

わが頭脳の中に、

時として、電(いなずま)のほとばしる如く、

革命の思想はひらめけども──

あはれ、あはれ、

かの壮快なる雷鳴は遂に聞え来らず。

我は知る、

その電に照らし出さるる

新しき世界の姿を。

其処にては、物みなそのところを得べし。

されど、そは常に一瞬にして消え去るなり、

しかして、かの壮快なる雷鳴は遂に聞え来らず。

暗き、暗き曠野にも似たる

わが頭脳の中に、

時として、電のほとばしる如く、

革命の思想はひらめけども──

     (一九一一・六・一五夜)

 

我等の且つ読み、且つ議論を闘はすこと、

しかして我等の眼の輝けること、

五十年前の露西亜の青年に劣らず。

我等は何を為すべきかを議論す。

されど、唯一人、握りしめたる拳に卓をたゝきて、

「V NARODO!」と叫び出ずるものなし。

 

我等は我等の求むるものの何なるかを知る、

また、民衆の求むるものの何なるかを知る、

しかして、我等の何を為すべきかを知る。

実に五十年前の露西亜の青年よりも多く知れり。

されど、唯一人、握りしめたる拳に卓をたゝきて、

「V NARODO!」と叫び出ずるものなし。

 

此処に集まれる者は皆青年なり。

常に世に新らしきものを作り出す青年なり。

青年は勇気なり、さればまた我等の議論は激し。

我等は老人の早く死に、しかして遂に我等の勝つべきを知る。

されど、唯人

ああ、蝋燭はすでに三度も取りかへられ、

飲料の茶碗には小さき羽虫浮び、

若き婦人の熱心に変りはなけれど、

その眼には、はてしなき議論の後の疲れあり。

されど、誰一人、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、

「V NARODO!」と叫び出ずるものなし。

   (一九一一・六・一五夜)

 

我は知る、テロリストの

かなしき心を──

言葉とおこなひとを分ちがたき

たゞひとつの心を、

奪はれたる言葉の代りに

おこなひをもて語らむとする心を、

われとわが身体を

敵に擲げつくる心を──

しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有(も)つかなしみなり。

はてしなき議論の後の

冷めたるココアのひと匙を啜りて、

そのうすにがき舌触りに、

われは知る、テロリストの

かなしき、かなしき心を。

 (一九一一・六・一五夜)

 

我はこの国の女を好まず。

読みさしの舶来の本の

手ざはりあらき紙の上に、

あやまちて零したる葡萄酒の

なかなかに浸みてゆかぬ悲しみ。

我はこの国の女を好まず。

   (一九一一・六・一五夜)

 

我はかの夜の議論を忘るること能ず、

新しき社会に於ける「権力」の処置に就きて、

はしなくも、同志の一人なる若き経済学者Nと

我との間に惹き起されたる激論を、

かの四時間に亘れる激論を。

「君の言ふ所は徹頭徹尾煽動家の言なり。」

彼は遂にかく言ひ放ちき。

その声は咆ゆるが如くなりき。

若しその間に卓子のなかりせば、

彼の手は恐らくわが頭を撃ちたるならむ。

我はその浅黒き、大いなる顔の

紅き怒りに膨れるを見たり。

五月の夜はすでに一時なりき。

或る一人の立ちて窓を明けたる時、

Nと我との間なる蝋燭の火は幾度か揺れたり。

病みあがりの、しかして快く熱したるわが頬に、

雨をふくめる夜風の爽かなりしかな。

さて我は、また、かの夜の、

我等の会合に常にただ一人の婦人なる、

Kのしなやかなる手の指環を忘るること能はず。

ほつれ毛をかきあぐる時、

また、蝋燭の心を截る時、

そは幾度かわが眼の前に光りたり。

しかして、そは実にNの贈れる約婚のしるしなりき。

されど、我等の議論に於いては、

かの女は初めより我が味方なりき。

           (一九一一・六・一六)

 

我は常にかれを尊敬せりき、

しかして今も猶尊敬す──

かの郊外の墓地の栗の木の下に

彼を葬りて、すでにふた月を経たれども。

実に、我等の会合の席に

彼を見えずなりてより、すでにひと月は過ぎたり。

彼は議論家にてはなかりしかど、

なくてかなはぬ一人なりしが。

ある時、彼の語りけるは、

「我に思想あれども、言葉なし、

故に議論すること能はず。

されど、同志よ、我には何時にても起つことを得る準備あり。」

「かれの眼は常に論者の怯懦を叱責す。」

同志の一人はかく彼を評しき。

然り、われもまた幾度しかく感じたりき。

しかして、今やその眼の再び開くことなし。

かれは労働者──一個の機械職工なりき。

彼の腕は鉄の如くなりき。

しかして彼はよく読書したり。

彼は実に真摯にして、思慮ある労働者なりき。

彼は二十八歳にいたるまで──

死ぬ時まで──その童貞を失はざりき。

彼は煙草を用ゐざりき、

また、酒を用ゐざりき。

「今日は五月一日なり、我等の日なり。」

これ彼の我にのこしたる最後の言葉なりき。

その日の朝、我彼の病を見舞ひ、

その日の夕、彼遂に永き眠りに入れり。

彼の遺骸は、一個の唯物論者として、

かの栗の木の下に葬られたり。

我等同志の撰びたる墓碑銘は左の如し、

「我には何時にても起つことを得る準備あり。」

     (一九一一・六・一六)

 

わが友は、古びたる鞄をあけて、

ほの暗き蝋燭の火影の散らぼへる床に、

いろいろの本を取り出したり。

そは皆この国にて禁ぜられたるものなりき。

やがて、わが友は一葉の写真を探しあてて、

「これなり」とわが手に置くや、

静かにまた窓に凭(よ)りて、口笛を吹き出したり。

そは美しとにもあらぬ若き女の写真なりき。

     (一九一一・六・一六)

 

げに、かの場末の縁日の夜の

活動写真の小屋の中に、

青臭きアセチリン瓦斯の漂へる中に、

鋭くも響きわたりし

秋の夜の呼子の笛はかなしかりしかな。

ひよろろろと鳴りて消ゆれば、

あたり忽ち暗くなりて、

薄青きいたづら小僧の映画ぞわが眼にはうつりたる。

やがて、また、ひよろろと鳴れば、

声嗄れし説明者こそ、

西洋の幽霊の如き手つきして、

くどくどと何事をか語り出でけれ。

我はただ涙ぐまれき。

されど、そは三年も前の記憶なり。

はてしなき議論の後の

疲れたる心を抱き、

同志の中の誰彼の心弱さを憎みつつ、

ただひとり、雨の夜の町を帰り来れば、

ゆくりなく、かの呼子の笛が思ひ出されたり。

──ひよろろろと、

また、ひよろろろと──

我は、ふと、涙ぐまれぬ。

げに、げに、わが心の飢ゑて空しきこと、

今も猶昔のごとし。

       (一九一一・六・一七)

 

我が友は、今日もまた、

マルクスの「資本論」(キャピタル)の

難解になやみつつあるならむ。

わが身のまはりには、

黄色なる小さき花片が、ほろほろと、

何故とはなけれど、

ほろほろと散るごときけはひあり。

もう三十にもなるといふ、

身の丈三尺ばかりなる女の、

赤き扇をかざして踊るを、

見せ物にて見たることあり。

あれはいつのことなりけむ。

それはさうと、あの女は──

ただ一度我等の会合に出て、

それきり来なくなりし──

あの女は、

今はどうしてゐるらむ。

明るき午後のものとなき静心なさ。


 


<呼子と口笛>


目次

はてしなき議論の後 3

ココアのひと匙 5

激論 6

書斎の午後 8

墓碑銘 9

古びたる鞄をあけて 12

家 13

16


はてしなき議論の後 

     一九一一・六・一五・TOKYO

われらの且つ読み、且つ議論を闘はすこと、

しかして我等の眼の輝けること、

五十年前の露西亜の青年に劣らず。

われらは何を為すべきかを議論す。

されど、唯一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、

'V NARODO! と叫び出づるものなし。

 

われらはわれらの求むるものの何なるかを知る、

また、民衆の求むるものの何なるかを知る、

しかして、我等の何を為すべきかを知る。

実に五十年前の露西亜の青年よりも多く知れり。

されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、

'V NARODO!'と叫び出ずるものなし。

 

此処にあつまれるものは皆青年なり、

常に世に新らしきものを作り出す青年なり。

われらは老人の早く死に、しかしてわれらの遂に勝つべきを知る。

見よ、われらの眼の輝けるを、またその議論の激しきを。

されど、唯一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、

'V NARODO!'と叫び出づるものなし。

 

ああ蝋燭はすでに三度も取り代へられ、

飲料の茶碗には小さき羽虫の死骸浮び、

若き婦人の熱心に変りはなけれど、

その眼には、はてしなき議論の後の疲れあり。

されど、なほ、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、

'V NARODO!'と叫び出づるものなし。


ココアのひと匙 

    一九一一・六・一五・TOKYO

われは知る、テロリストの

かなしき心を──

言葉とおこなひとを分ちがたき

ただひとつの心を、

奪はれたる言葉のかはりに

おこなひをもて語らむとする心を、

われとわがからだを敵に擲げつくる心を──

しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有(も)つかなしみなり。

はてしなき議論の後の

冷めたるココアのひと匙を啜りて、

そのうすにがき舌触りに、

われは知る、テロリストの

かなしき、かなしき心を。  


激論 

     一九一一・六・一六・TOKYO

われはかの夜の議論を忘るること能ず、

新しき社会に於ける'権力'の処置に就きて、

はしなくも、同志の一人なる若き経済学者Nと

われとの間に惹き起されたる激論を、

かの五時間に亘れる激論を。

'君の言ふ所は徹頭徹尾煽動家の言なり。'

かれは遂にかく言ひ放ちき。

その声はさながら咆ゆるがごとくなりき。

若しその間に卓子のなかりせば、

かれの手は恐らくわが頭を撃ちたるならむ。

われはその浅黒き、大いなる顔の

男らしき怒りに漲れるを見たり。

五月の夜はすでに一時なりき。

或る一人の立ちて窓をあけたるとき、

Nとわれとの間なる蝋燭の火は幾度か揺れたり。

病みあがりの、しかして快く熱したるわが頬に、

雨をふくめる夜風の爽かなりしかな。

さてわれは、また、かの夜の、

われらの会合に常にただ一人の婦人なる

Kのしなやかなる手の指環を忘るること能はず。

ほつれ毛をかき上ぐるとき、

また、蝋燭の心を截るとき、

そは幾度かわが眼の前に光りたり。

しかして、そは実にNの贈れる約婚のしるしなりき。

されど、かの夜のわれらの議論に於いては、

かの女は初めよりわが味方なりき。


書斎の午後

    一九一一・六・一五・TOKYO

われはこの国の女を好まず。

読みさしの舶来の本の

手ざはりあらき紙の上に、

あやまちて零したる葡萄酒の

なかなかに浸みてゆかぬかなしみ。

われはこの国の女を好まず。


墓碑銘

    一九一一・六・一六・TOKYO

われは常にかれを尊敬せりき、

しかして今も猶尊敬す──

かの郊外の墓地の栗の木の下に

彼を葬りて、すでにふた月を経たれども。

実に、われらの会合の席に彼を見ずなりてより、

すでにふた月は過ぎ去りたり。

かれは議論家にてはなかりしかど、

なくてかなはぬ一人なりしが。

或る時、彼の語りけるは、

'同志よ、われの無言をとがむることなかれ。

われは議論すること能はず

されど、我には何時にても起つことを得る準備あり。'

'かれの眼は常に論者の怯懦を叱責す。'

同志の一人はかくかれを評しき。

然り、われもまた度度しかく感じたりき。

しかして、今や再びその眼より正義の叱責をうくることなし。

かれは労働者──一個の機械職工なりき。

かれは常に熱心に、且つ快活に働き、

暇あれば同志と語り、またよく読書したり。

かれは煙草も酒も用ゐざりき。

かれの真摯にして不屈、且つ思慮深き性格は、

かのジュラの山地のバクウニンが友を忍ばしめたり。

かれは烈しき熱に冒されて病の床に横はりつつ、

なほよく死にいたるまで譫言を口にせざりき。

‘今日は五月一日なり、われらの日なり。’

これかれのわれに遺したる最後の言葉なり。

その日の朝、われはかれの病を見舞ひ、

その日の夕、かれは遂に永き眠りに入れり。

ああ、かの広き額と、鉄槌のごとき腕と、

しかして、また、かの生を恐れざりしごとく

死を恐れざりし、常に直視する眼と、

眼つぶれば今も猶わが前にあり。

彼の遺骸は、一個の唯物論者として、

かの栗の木の下に葬られたり。

われら同志の撰びたる墓碑銘は左の如し、

‘我には何時にても起つことを得る準備あり。’


古びたる鞄をあけて

     一九一一・六・一六・TOKYO

わが友は、古びたる鞄をあけて、

ほの暗き蝋燭の火影の散らぼへる床に、

いろいろの本を取り出したり。

そは皆この国にて禁じられたるものなりき。

やがて、わが友は一葉の写真を探しあてて、

‘これなり’とわが手に置くや、

静かにまた窓に凭(よ)りて口笛を吹き出したり。

そは美くしとにもあらぬ若き女の写真なりき。


呼子と口笛の詩稿ノートより

<家>と<飛行機>は未入力  2004.9.28